特別講演
川崎病の40年
| 川崎富作 |
| 1961年(昭和36年)1月、小児科医10年のキャリヤーで、未だ経験したことのないユニークな臨床像を呈した4歳3ヶ月の男児を受け持つ機会が与えられた。本例は今にして思えば典型的な川崎病児(クームス陽性の溶血性黄疸を併発)であったが、当時は診断不明として退院させざるを得なかった。幸いにも1年後の1962年2月、同様の特徴的な症状を呈する症例に遭遇し、このユニークな臨床像を呈する症例が確かに2例存在するという実感を得た。更に幸いにも、同じ年に次々と同様症例を経験したので、10月の千葉地方会に“非猩紅熱性落屑症候群について”と題して7例を報告した。その後も年々症例を重ね、50例に達したので、1967年3月のアレルギー誌に原著を発表したところ、全国から別冊の請求が相次ぎ、本症が全国的に経験されている事を実感した。1970年、厚生省医療研究助成補助金による研究班が発足し、第1回の全国実態調査が行われた結果、本症が予後良好な疾患から、心冠状動脈瘤に血栓閉塞を伴って突然死する可能性があり、病理学的には乳児型結節性動脈周囲炎と診断され、疾患概念を根本的に変更せざるを得なくなった。
その後、臨床的に冠動脈瘤例が次々と証明されたので、1974年9月Pediatricsに本症の臨床像、病理像および疫学について報告したところ、世界的反響があり、1979年ネルソンの小児科教科書改訂第11版に本症がはじめて登場するに及んで、国際的市民権が与えられた。その後の本症は厚生省、文部省の両研究班、日本心臓財団原因究明委員会などを通して、臨床、疫学、病理、病因の研究が行われ、疫学、臨床、病理の面では、新知見が次々と加わり、疾病像も大分はっきりしてきたが、病因に関しては残念ながら、未だに手がかりさえ掴めていないのが実情である。本講演では、本症研究を振り返り、今後の在り方を考案したいと思う。
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